湯河原から富士吉田まで


2015_6_7  曇り 自転車89.4km 輪行⇒湯河原⇒椿ライン⇒大観山⇒元箱根⇒桃源台⇒仙石原⇒長尾トンネル⇒御殿場⇒篭坂峠⇒馬車道⇒139号⇒富士吉田⇒下吉田⇒輪行(富士急大月線、中央線、横浜線)



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何しろ重い。
駅の階段を上るに、ひいひい言うのです。

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湯河原駅前
土肥実平夫妻の銅像の前で組み立て

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改札口からここまで運ぶのに、肩ベルトがずりおちる。
非常に歩きにくいです。

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解体荷造りより「組み立て」のほうが簡単です。

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湯河原の温泉街を抜けて山にはいっていきます。が・・・
山の中にはいっていくからといって、
空気がきれいということはありません。
しっかりとマスクをしておかなければなりませんよ。

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ここから1000mの高さまで、18kmくらいの距離で上ります。
5%〜6%くらいの緩やかな一定の勾配で、登っていきます。
勾配がゆるやかなので、自転車が走るのに、とても走りやすい。
ということは、オートバイにとっても走りやすいのです。

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オートバイが、どんどん走っていきます。

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自転車にも抜かれます。
「こんにちはー」とか言いながら抜いていきます。

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オートバイは、頂上まで行ったら、また下りてきます。
「道志みち」もそうでした。
国道411号、大菩薩ラインもそうでした。
行ったり来たりしています。
必ず3台以上です。
空気は汚れています。
マスクをしている意味が、ここでわかります。

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オートバイはかなりのスピードで走りあがってきます。
左カーブは、なるべく内側を走りたいはずです。
が、曲がる途中に自転車がいると・・・・
自転車としても、それが気になります。

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背中はスカスカですが、前は荷物でいっぱい。

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登ってきた道を振り返っていますが
なだらかです。
じんわり、じんわりと登ってきたのがわかります。

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もう少しで頂上です。
標高1000mくらいでしょうか。

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ターンパイク合流点、ビューラウンジ
オートバイはここまでで、いなくなる。

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そして芦ノ湖
ここからの下りは寒い、
ので、長そでのシャツを着込みます。

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元箱根へおりて
再び登りはじめます。

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右へ行ったら宮ノ下、左が桃源台、仙石原方面です。

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芦ノ湖湖岸はアップダウンがすごい。

で、フロントキャリアの、この荷物です。
実に走りにくい。

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ロープウェイは動いています。
ロープウェイは2つありまして、こちらは箱根駒ケ岳ロープウェイ
箱根園から駒ケ岳まで

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桃源台ロープウェイ
こちらのロープウェイは箱根ロープウェイ
桃源台から強羅まで

道は、ここから一度のぼって、そして下りますが・・・

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かなり下る

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大涌谷の煙が見えます。

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この位置の標高は650mくらいだそうです。
比べて、芦ノ湖湖面の標高は723m
こちらのほうが、かなり低いことになります。

車では気づきませんが
自転車では、なんとなくわかります。
仙石原湿原植物群落
この位置は芦ノ湖湖面標高より低いです。

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仙石原交差点前

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乙女トンネル、長尾トンネル分岐手前

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時間がありそうなので、長尾トンネルのほうを行きます。

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大涌谷の噴煙です。

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芦ノ湖を跡にして、長尾トンネルへ

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ぐるりとまわって
長尾トンネルです。
トンネルは短いので
向こうの出口が、すぐそこに見える。

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トンネルを抜けても
曇っている
路面にはタイヤのあと

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駿河台の「しるこや」から
富士山はまったく見えない。

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御殿場の町へ下りこみます。

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一直線に町を横断して
篭坂峠に向かいます。
見えている山を越えます。
3つめの山越えです。

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自衛隊の車が増えてきました。

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途中、道が狭くなる場所があります。
こんなかんじで、バスが迫ってきますので
とりあえず、抜いてもらう。

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対向車線は車でびっしり・・・・
いつ走っても、こんなかんじです。
よく混むところです。

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浅間神社の前あたり
右の歩道を走ったり、左の歩道を走ったり
車道を走ったりしながら、ヨロヨロと登っていきます。

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国道138号線籠坂峠
ここに、「なぜ峠が県境でないのか」
やはり疑問を持った方がいました。
コツコツ登ってきたら
もうすこしで峠です。
ここが県境で、峠が境ではない。なぜですか。

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篭坂峠に着きました。


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馬車道といいます。
「なぜ馬車道というのですか?」
という疑問がわいてきます。

調べてみると、なるほど馬車鉄道が走っていた。
都留馬車鉄道跡のようです。
鉄道があったのです。

時代によって
区間、運営会社が変わりましたが、
大月から御殿場まであったようです。

各区間、運営会社と軌道幅が違うので、
全線乗るには、乗り換えが必要でした。
馬車道の方へ行きます。

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詳しくはこちらで・・・
富士山麓お馬啼く
鉄道トリビヤ富士山駅
御殿場馬車鉄道
139号線へ合流
ずーっと下りの道です。

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富士吉田の町は斜面の町です。
「富士山駅」は自転車解体する場所がないようなので
下吉田駅へ向かいます。
ここなら場所があります。
ストリートビューで確認済です。


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古い町の中心は下吉田にありました。
富士山登山、鉄道敷設などで、
町の中心はどんどん南のほう、高い方へ
移っているようです。

もともとは、この駅のあたりが中心地でした。

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解体して、荷造りして輪行で帰ります。

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↑の写真、床が木の板張りで、
のれんがかかっているので、

男湯の入口みたいですが、
電車の中です。

そして、富士急の車内には
このように多目的スペースがありますので
安心して自転車が置ける。

日曜日なので、富士山帰りの人が
たくさん乗っているかと思いましたが
そうではない、すいていました。





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