人吉から坂本周回
場所 | 人吉から万江川を遡り、林道、坂本人吉線で坂本へ抜け、球磨川沿いに帰ってきます。 |
日時 | 2019_07_12 |
天気 | 晴れ |
距離 | 91km |
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人吉駅裏の村山公園を出発です。今日は一日晴れの予報ですが、念のためにカッパの上着とフロントキャリアのカバーを持っています。 | ||||
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こんなこと書いてある。 | ||||
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山江村には2つの大きな川が流れています。ひとつは山田川、もうひとつが万江川です。九州自動車道は最初は山田川に沿って走りますが、すぐに万江川に移ります。 | ||||
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山田川に沿って走っていた高速は人吉から八代に向けての最初のトンネル、淡島トンネルトンネルを抜けて万江川に移ります。今、淡島トンネルを抜けたところの下を通過しています。 | ||||
高速道路は万江川に沿って走るのですが、川は蛇行していますが、高速道路はほぼまっすぐですので、実際には万江川を串刺しにするような形で走っています。 | ||||
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時々、平行して走ります。 | ||||
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肥後トンネルに来ました。 | ||||
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高速道路は肥後トンネルにはいり万江川と離れます。林道は左手に山を登っていきます。 | ||||
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民家を下に見ながら山を登っていきます。 | ||||
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道は完全に舗装してあり、傷んでいるところはありません。 | ||||
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伐採地を見ています。最近は多くの場合、伐採するときには作業道をジグザグに隙間なく作りますが、ここは違います。架線による搬出をしたようです。高度な技術者がいるようです。非常にスマートな作業方法です。 | ||||
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道はさらに上っていきます。 | ||||
林道、坂本人吉線は全長30キロメートルで、工費が60億ほどかかったようです。メートルあたりいくらになるのでしょう。 | ||||
たぬきですか?。 | ||||
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はるか八代海の方を見ています。この幾重にも重なる山々の間のどこかに球磨川が流れています。 | ||||
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山の峠を過ぎて、道は下りになっていきます。 | ||||
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こちらは、大きな道が見えています。高速道路です。 | ||||
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九州自動車道です。地図を見ると肥後トンネルを出たあたりのようです。 | ||||
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山のてっぺんを走っていますので、時々上り坂です。 | ||||
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天気は晴れです。山の上は涼しい。 | ||||
でも、まだ、このようにずーっと下っていかなければなりません。 | ||||
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球磨川が見えます。坂本に出たようです。 | ||||
左岸の広場が道の駅の駐車場です。 | ||||
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しだいに暑くなってきました。 | ||||
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川に出たら、さらに暑くなるでしょう。最後の涼み場所です。 | ||||
これはNHKテレビ放送された「球磨川とともに生きる〜荒瀬ダム撤去 それから(7月12日午後7時半から)」という番組の坂本上空の空撮部分です。左下のところに下りてきたわけです。荒瀬ダムの袖の部分がわずかに残っています。 荒瀬ダムは球磨川河口から20kmに位置する八代市坂本町(当時の八代郡上松求麻村)に、戦後復興期の電力確保を目的として、1953年(昭和28)年3月に建設着工しました。 |
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球磨川に出ました。 向かって左側に見えるのが荒瀬ダム撤去後のコンクリです。 ダム建設工事は困難を極めましたが、12名の尊い犠牲者と延べ80万人もの建設従事者の県名の努力により短期間で完成し、翌1954年12月には、ダム下流に位置する藤本発電所で発電を開始しました。 |
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ダム撤去後の袖の部分が残っています。 地元住民の方々の清流球磨川再生の想いが高まる中、2002年には地元坂本村議会からダム継続の停止を求める趣旨の意見書が県知事に提出されました。 県では地元の想いを受け止め、撤去資金の確保や撤去技術の確立、水利権更新などの課題を総合的に検討したうえでダム撤去を決定しました。 |
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対岸の様子です。 | ||||
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堰堤のネームプレートです。 | ||||
これもNHKテレビ放送された「球磨川とともに生きる〜荒瀬ダム撤去 それから(7月12日午後7時半から)」という番組から。撤去中の様子です。テレビの画面をカメラで撮ったものです。 撤去工事は2012年に着手し、工事の安全と河川環境などに配慮しながら、全国初の本格的なコンクリートダムの撤去工事を2018年3月に完了しました。 |
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撤去されて1年たつと川岸の草も青々となり、ダムがあったことを感じさせません。左手にある3階建ての建物が球磨川温泉鶴の湯旅館です。 | ||||
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私は鎌瀬橋で左岸に移ります。道は狭くなり、乗用車がすれ違うのは無理です。少し広いところで待つことになります。 逆に国道は右岸に移ります。 のどかな川の流れです。 |
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ダム建設場所は川がカーブしていて、そのすぐ上流の両岸がしっかりした岩の場所が適所とされます。 ということで、カーブの先にダムが見えてきました。 |
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球磨川には大きなダムが3つありました。ひとつははるか上流の市房ダム、そして、先ほどのすでに撤去されて荒瀬ダム。そして、もうひとつ瀬戸石ダムです。その瀬戸石ダムが見えてきました。 | ||||
荒瀬ダムの湛水面積は123haでしたが、瀬戸石ダムの湛水面積は124haで、ほとんど同じです。作られたのが荒瀬ダムは1955年、瀬戸石ダムが1958年。 この瀬戸石ダムの撤去運動もおこっています。 |
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魚道です。途中で暗渠になり道路の下にもぐっています。ダムから、その魚道を見てみると、少し上ってすぐに暗渠になっているのがわかります。 | ||||
瀬戸石ダムの上は車が通れます。 | ||||
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上流へと進みます。 | ||||
内木場の方へ少しはいります。400mばかり奥へ。 近くを新幹線が走っているはずです。 |
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細い道を進みます。 | ||||
新幹線が通っています。 | ||||
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再び球磨川へ戻って吉尾駅を過ぎたところ。 | ||||
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球泉洞が見えてきました。 | ||||
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筋肉ムキムキの男性グループのラフティングです。この人たちは何をしているかというと、流れに逆らって上っているのです。 | ||||
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淀みの端で力を蓄えて、息を整えて、いっきに上っています。上りきれなかったら流れ下り、元の淀みへ戻って、力を蓄えて、また上ります。 | ||||
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別のグループが下ってきました。ものすごいスリルで、楽しそうです。それなのに安全そうです。 いちばん後ろで舵をきっているのがインストラクター。 急な瀬が4つか5つかありまして、その急な瀬ごとに「いちばん先頭に乗りたい人」の希望をとり、交代で船首に乗っています。。 |
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一勝地です。 団体で来ているラフティングの人たち、例えば修学旅行の生徒さんたちは川中の岩から飛び降りる体験をしたりすることもあります。足から飛び降りますが、高さは5mと3mの二通りあります。 |
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一勝地と那良口の間にある涼しいところです。暑いところから、こういう木陰にはいると生き返ります。 | ||||
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相良橋から下流を見ると肥薩線SLが通っていくのが見えました。 | ||||
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渡駅前の長い暑い直線の道路を走ります。 | ||||
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村山公園到着。 水3リットル、生ハム、焼きおにぎり4個、5枚切り食パン(1枚を4つに切って、その間にバターを挟んで焼いたもの)5枚。 |
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