今回のルート
稲城までは多摩川沿いを走りますが、休日で人も多いので、そろりそろりと移動します。
川崎街道
「連光寺坂」につきました。
この坂は、サイクリングをする人たちにはかなり知られていまして、皆さん練習に使っています。
初心者の方々は多摩川を走っていますが、慣れた人たちは、ここから尾根幹線道路を走っているようです。
連光寺坂とは
稲城市大丸から多摩市関戸の新大栗橋交差点までののぼりくだりをそう呼ぶようです。
大丸交差点から連光寺坂上まで2.5kmあります。
連光寺
大谷戸公園
ひじり中央橋
聖ケ丘3丁目
商店街
各地区に商店街がありますが、閉めている店が多いです。
これに関しては港北ニュータウンはセンター北、南に集中的に大型商業施設を作っていますので、町つくりの発想は根本的に違うようです。
元気橋
楽しい名前の橋がたくさんあります。
「るんるん橋」とか「恐竜橋」とか・・・
馬引沢公園
馬引沢公園と多摩東公園の間の
剣橋
尾根幹線道路は、すぐ近くです。
この先の諏訪地区、永山地区はほとんど尾根幹線道路に接しています。
当然、騒音のことが言い出されるでしょう。
対策として道路の上り車線は通行できないようになっています。
下り車線を対面で使っています。
電車見橋
ここから電車が見えます。
だから電車見橋
わかりやすくていいです。
左が小田急多摩線
右が京王相模原線
向かって多摩センター、橋本方角
背中の方角が若葉台
諏訪4丁目
商店街
1971年(昭和46年)の第1次入居時に入居開始。
永山地区とともに多摩ニュータウンのはじまりの地域です。
諏訪・永山地区では就学児童・生徒の減少しています。また、、入居者の高齢化のため町の活力の低下が問題になっているようです。
ピークは1986年(昭和61年)でした。
ただ、近隣の稲城市にある若葉台などは新しい町です。
幹線道路は谷筋にあり、住宅地の生活道路とは完全に分離されています。各生活道路には原則として歩道がついており、安全性を高め、景観の向上と環境保全のため並木が植栽されています。
また、一般の車道とは別に「歩行者専用道路網」があり、そのための立体交差の道路橋が数多く設置されています。
中諏訪橋
諏訪中学校と
市立教育センターの間の歩道橋
高齢化が問題になっています。
あちこちの小学校が廃校になっているようです。
諏訪2丁目
商店街
諏訪五丁目の医者村では、住民の利便性を重視して各種の医院を集中して配備したが、年月が過ぎると廃業が進み、今では減ってしまった、最近では集中配置は止めているとの事でした。
豊ヶ丘にも医者村というのがあります。
永山4丁目
永山南公園
永山商店街
1971年(昭和46年)の第1次入居時に入居開始。
諏訪地区とともに多摩ニュータウンのはじまりの地域です。
尾根幹線道路は諏訪、永山地区の横だけ南の部分を走っています。
さきほども書きましたが、
道路はあるのに、せき止めて広い歩道となっています。
この部分だけが団地に近いためでしょう。
瓜生
迷路みたいに道が分かれていて
知っている人はもとの道に戻れるのでしようが、迷ったらわからなくなります。
瓜生見返り橋
横浜市の港北ニュータウンの歩行者専用道が谷すじにあるのに対して、多摩ニュータウンの歩道は高いところを通っています。
瓜生見返り橋
貝取南公園
じつに公園が多いです。
域全体で大小を含めて約200箇所と言われます。
3丁目と4丁目の間の歩道橋
医者村橋
このへんも医者村と言うようです。
豊ヶ丘南公園前橋
ふんすい橋
恐竜橋
橋の柱になにか金属がくっついていたようですが、
恐竜のオブジェだったのでしょうか。
道のまんなかに花壇のある場所
るんるん橋から落合5丁目
このように緑道を走ってみると、まるで公園の中にある町のようですが、実際に航空写真で見てみても、やはりそうです。
公園の中の住宅群です。
どこをどう通ってきたかわからないほどです。
豊ケ丘南公園
豊ケ丘地区は公園が多い。
街全体が公園のような雰囲気です。
落合6丁目
多摩鶴巻5丁目
風の橋
三徳スーパーマーケット
唐木田まで来ました。
小田急多摩線はここまでです。
大妻女子大学前あたりです。
この先別所、南大沢地区には大型店舗が並びます。
大型商業施設があるのは、ここと多摩センター地区です
レンガ坂
多摩センター近く
迷って、ここまで行ってしまいました。
帰り
桜ヶ丘まで来ました。
ゆうひの丘公園下の住宅街
そこに坂があれば登りたがる、というのが自転車乗りですが、私はこの坂が気に入っています。
ゆうひの丘公園
遠くに見えるドームは所沢です。
稲城大橋
やはり河原は暑い
多摩ニュータウンの緑道のほうが
ずいぶん涼しいようです。
矢野口 くろがねやの前あたり
続いて、横浜の港北ニュータウンです。
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