大菩薩峠越え
2014_05_07 晴 全長125km 自転車を持って大菩薩峠を超えます。そのうち6.9kmを背負ったり押したり。
二子玉川園⇒自転車⇒小菅赤沢登山口⇒大菩薩峠⇒石和 自転車、リュックの中身をあわせると20kgあった。それに登山靴、水、食料が加わる。
内訳はリュックが5kg(SPD靴がはいっている)。よって、自転車関係が15kg(キャリア含む)
大菩薩峠は、
甲州市塩山と小菅村の境にある峠
。そして大菩薩嶺と熊沢山の間にある峠です。
この峠の名前を知るのは、まず、小説のタイトルからです。しかし、この峠の魅力は小説によるものからだけではない。東京から日帰りができて、安全なコースで、2000mほどの高さがあり展望もよい。登るのに手ごろな山だからです。
青梅街道は新宿から奥多摩を経由し甲府までの道です。大菩薩峠は昔の青梅街道の峠です。江戸時代までは
甲州街道の裏街道
で、米や塩、木材など物資の輸送などに利用されました。青梅街道の最大の難所の峠が大菩薩峠だったのですが、現在の青梅街道は大菩薩ラインになり、難所は解消され道はよくなっていて、快適に走れる。
昔の難所であった大菩薩峠を越えようと思っています
。
峠を越えるには峠の上り口まで行かなければならないし、越えてから向こうに降りたあとは、そこから帰ってこなければならない。峠を越える前後が大変なのです。そこで、前後を自転車で走ることにした。自転車を背負って峠を越える計画を立てました。
自転車を背負って大菩薩峠を越えてみよう。
0327
二子玉
3時半くらいにスタート
公共交通を利用するわけではないので、
どんな早立ちも可能です。
といっても、2時前だと睡眠不足になります。
睡眠時間が足りないというわけではなく、
睡眠適齢時刻に合わないということです。
ということで3時過ぎに出発です。
0513
拝島
すっかり明るくなりました。
この辺でGPSバッテリーの心配をします。
歩きながら充電するのは、やりにくいので、
ここから充電しながら走り
歩きはじめる段階では満タンになるようにしておきます。
0513
福生
川に朝もやがたっています。
さて、自転車を背負うのですが、背負子を使えば楽に背負うことができるのですが・・・
しかし、乗って走るときに、この背負子が邪魔になるのです。
どうするか・・・・
自転車のフレームそのものを背負子にしてしまうのです。
そこに存在するもので賄ってしまう。何も追加しないし、省いたりもしない。
今あるもので、工夫をして背負っていきます。
0540
羽村
背負わなくて担げばいいではないか・・・
山でマウンテンバイクに乗っている人たちみたいに押したり、担いだりすればいいではないか・・・
と思われるかもしれませんが、
担ぐのと背負うのとでは体が受ける負担の度合いが違います。
0626
吉野
では、担ぐのと、背負うのとではどう違うか・・・
今から先、いろいろなところでマウンテンバイクを担ぐ人たちと出会うことになるでしょう。
そのときに、どう違うかがわかってきます。
試してみないとわからないことです。
今吉野街道の方を走っていますが、
青梅街道について・・・・
青梅街道というのは青梅と都心を結ぶだけの街道ではありません。
新宿から甲府まで通っています。
ここまで、
たくさんのトンネル
(11個)を通って
奥多摩湖に着きました。
0744
さて、東海道と中仙道のどちらが多く利用されたかという話は、よく聞きます。答は中仙道です。一見、高崎まで北上して、それから諏訪湖へ向かうと遠回りではないかと思いがちですが、線をひっぱってみるとよくわかります。たいして違わないのです。どちらもすんなり行った場合のみ距離的に一日程度余分にかかるだけです。加えて、難所が少ない、峠も少ない。崖っ渕が少ない、宿場が多い。そして、大きな川が少ないのです。この川がなんとも難所でした。大水だけではなくて、川渡し人足と宿屋の利権がからみ、川止めは川渡し業者の胸三寸で何とでもなるし、自分で歩いて渡ったり、泳いだりするのもご法度でした。「かとちゃんけんちゃん」のコントで「川の渡し」というのがありましたが、まさにあのとおりだったようです。なので、東海道が距離だけで一日分くらい近いというだけでは、こちらを行こうとする人はなかなかいなかったわけです。
奥多摩湖に着きました。
0801
甲州街道はそもそも川沿いに進んでいくのでが川を横切るところが少ない。ただし、川沿いなので崖が多くて歩きにくい。甲州街道の裏街道と言われる大菩薩峠を使うと話は変わってくる。崖がない。峠は2つ。大菩薩峠と富士見峠です。峠は少ないほうがよい。
甲州街道に対して大菩薩峠がよく使われた理由はそこにあります。
現在の青梅街道は距離を長くして、より低い峠である柳沢峠を通っています。
今から、その大菩薩峠を越えます。
自転車を背負って・・・・
0804
付けたしになりますが、
そのように比べていくと
昔は中仙道というのはメインの街道であったということが理解できるような気がします。
さらに
いくつかのトンネル
(9個)を通って、結局20個のトンネルをくぐってきました。
小菅の中心街
町の中心を通る道は急勾配です。
見てください、山の高いところまで植林してあります。
木の大きさと樹種と植林地の形をじーっと見ていると、山と地域の歴史が、見えるような気がします。
0928
町を抜けて、砂利道になって
0933
登山口近くで
再び舗装道路になって
0942
登山口に到着
この登山口は赤沢口といいます。道路をしばらく行くと日向沢登山口。このふたつは途中で合流する。
ここまで88.6km
6時間かかりました。
山に登るには、山の麓までたどり着く、こちらの方が大仕事です。
1019
このあたりの
標高900m
大菩薩峠の標高が1897mなので、ここから約1000m上ります。
丹沢山でいちど経験していますので大丈夫です。
GPSバッテリーは満杯状態です。
モバイルバッテリーをはずしGPS単独で動かします。
しっかり動いているか心配なので、いちどSTOPボタンを押して、STOPになるかテストします。
そして、続いてSTARTボタンを押して続行します。
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このSTOP、STARTを繰り返してもログの状態ではPAUSEになつているようです。
つづけて記録されていきます。
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なだらかな道が続きます。
自転車も、押していけるのではないかいな、という状態の道です。
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かなりの急斜面を歩きますが、道は非常に良い。ここでも押していけそうな気もする。
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このへんで、マウンテンバイクを押して登る若者に追い越されました。
いつも押して登って、牛の寝通りという反対側の尾根を走るのだそうです。
道もよさそうですし、押し歩きの誘惑にかられます。
1201
押そうか、背負いつづけようか
さんざん迷ったあげく、ついに組み立てて、押すことにしました。
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押し歩き開始
一見楽そうですが、ずーっと体をねじったまま押すのです。疲れます。
時々自転車の右側にまわりますが、勝手がわるい。
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しばらく、ほんの数分は快調に押します。
1310
フルコンバという平地
古い
金場
という意味だそうです。
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だんだん押しにくくなってきます。
この状態で押すと、自分の位置が谷の方になりますので非常に危険なので、右側にまわって、抱えるようにして歩きます。
1340
石がごろごろ
押すにも押せない状況です。こういう時は、やはり背負った方が良い。とおして考えるとずっと背負った方がよい。しかし、今更分解できない。
1341
こんなかんじで、ほとんど、吊り下げて歩く状態
背負いつづければよかった、と、後悔です。
何がいけないかというと、腰をひねった状態で歩いています。
背骨に障害がおきなければよいのですが、山で少しでも体を痛めると、どうにもなりません。
1400
介山荘につく。「介山」、小説の作者です。
小屋が並んでいて、小屋と小屋の間を、みやげ物を見ながら通過することになります。
この右手に大菩薩峠という標識がたっている。
1405
ここまで94km
登山口が88.6kmだったので、5.4km歩いたことになります。
標高1897m
大菩薩嶺からは、たくさんの人たちが下りて来ます。
1416
さらに1.5kmほど
押しておりる。ここまで95.5km。
1436
砂利道ではあるけど
乗っていけないことはない。
すぐに舗装になる。
1447
ロッジ長兵衛から
ぐんぐん、いっきにくだる。
1604
塩山を経て、笛吹川沿いにサイクリングロードを走ってきて、振り返る
あの山から下りてきた。と、思うと少し感動的です。
1626
笛吹川サイクリングロード
到着です。
出発点から125km
ホテルへチェックインします。
次の日
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