もうひとつのループの話
加久藤トンネル、矢岳高原 2018_4_22 50km 人吉のループ橋、えびのループ、2つのループと、もうひとつのループの話です。
ループは、らせん状の道によって高度差を解決します。
加久藤峠 は熊本県人吉市と宮崎県えびの市の間を結ぶ峠です。 加久藤という名はえびの市側の地名です。現在のえびの市は3つの町(真幸、加久藤、飯野)が合併してできました。
国道221号線は、現在はこの峠を加久藤トンネルと「人吉ループ橋」、「えびのループ橋」の2つのループで高度差を克服し、人吉とえびのをつないでいます。
昔は細い峠道で堀切峠と呼ばれていました。いつの頃からか加久藤峠と呼ばれるようになったのです。
そして、もうひとつのループの話ですが・・・
鉄道のループです。大畑駅にあるループとスイッチバックの混合箇所。
これらを見てきます。
0747
人吉ループ橋まで車、
ループ橋の中間点に駐車場があり、
そこに車を停めて自転車で出発です。
0750
ループをぐるりと一回り半まわって・・・
0752
トンネルに向けて登っていきます。追い越し車線があり道が広くなりました。
0806
加久藤トンネルに到着
全長1,808m
0820
0826
3台の車に抜かれ出口です。
4分11秒かかりました。
0827
ループをぐりぐり廻って下りていきます。
0834
ただいまの気温、14度です。
0835
見えている山は韓国岳や夷守岳。
雲海トンネル
観望トンネル
0837
通って来たループと左手に矢岳高原が見えます。
一度、町まで下りて、再び、あそこまで上ります。
加久藤峠・・・明治10年(1877) 2月15日、西郷軍は約13,000名の兵で鹿児島を出発。全軍は二隊に分かれ、一隊は西目街道を伊集院から阿久根・水俣と北上した。本隊は東回りで大口街道より人吉に入る予定だったが、2月17日、大雪のため吉田口へ迂回し、加久藤を越えて20日に人吉に入った。
2月の寒い時期の峠越えは凍傷などの多数の負傷者を出し、薩軍は戦う前からすでに兵力が落ちていました。21日球磨川を舟で下り、八代に上陸した後、熊本に向かいました。2月下旬 薩軍は相次いで川尻に進出。2月21日の軍議で全軍が熊本城を強襲することになりました。
0856
町まで下りてきて、高速道路の下を通る。
0857
見上げて、えびののループ
0905
川内川に沿って走ります。
0912
矢岳高原へ向けて登ります。
0957
道は良いです。
1009
1020
矢岳高原に到着です。
小さな子が自転車の練習をしています。
1026
頂上に到着です。
1029
えびの市と霧島火山群が見えます。
新燃岳も硫黄山も写っているはずですが、霞んでいてよくわかりません。
1033
国道のループが下に見えます。
1033
高速のサービスエリアも見えます。
高いところへ来ると、どうしてもやりたいことがあります。
なこかい、とぼかい
さあ、やってみましょう。
1039
「チェストー」
1039-1
お祭りが終わったところで
矢岳駅へ向けて走ります。
1106
新緑がきれいです。
1114
矢岳駅に着きました。
1115
駅舎です。
もちろん無人駅
列車は1日に3本だけです。
それも観光列車です。
これにプラスして、ななつ星が通ります。
ななつ星については大畑駅で書きます。
SL展示館があります。D51です。小さい動輪4個、確かにD型です。
主に貨物で活躍しました。
顔の横についている競馬馬のブリンカーみたいなものは何でしょう。と調べて見ましたら、
風の流れをスムーズにするものでデフレクター(除煙板)と言い煙が汽車にまとわりつくのを防ぎ、視界をよくするためにつけてあるものだそうです。
車輪が3つ
C型です。
こちらは清里駅
1122
矢岳の集落です。
1130
道は線路と平行して通っています。
鉄道はほとんどトンネルです。
その大畑駅に着きました。
名刺がたくさん
高いところの名刺は、どのようにして貼ったのか。
蒸気機関車は石炭で走りました。石炭だけで走ったわけではありません。当然水が必要でした。石炭より水の方が先になくなりました。
全区間で蒸気を吹かしている登り勾配の線区だと50km程度しか持ちませんでした。
人吉駅-大畑駅 距離10.4km
大畑駅-矢岳駅 距離9.5km
矢岳駅-真幸駅 距離7.3km
ですが、なにしろ勾配がすごいのです。
なので大畑駅で、矢岳駅で給水しました。
大畑、給水塔
矢岳、給水塔
タンクはこの建物の上に乗っていました。建物の中には給水設備が備えてありました。
1245
大畑駅からスイッチバック引き込み部分を見ています。
高度を上げるために作るはずのスイッチバックですが、ここではほとんど水平です。なぜ、ここをスイッチバックにしたのか。
本線上に駅を作ろうとすると、勾配(坂)の途中になり、昔の列車(蒸気機関車)では勾配で停めたら動かせなかったからです。さらに、ここで機関車を休ませて水の補給をする必要があったからです。
そしてポイントの切り替えですが、手動でポイントを切り替えた時代もあったが、今は離れた運行管理所からの遠隔操作で切り替えられている。誰もいない線路のポイントがジーッという音とともに切り替わっていくのが見えます。どこで遠隔操作しているのかわからなかった。
蒸気機関車がいた時代 (肥薩線 矢岳越え)
運転士さんは駅で車両の最後部の運転席へ移動して、反対方向へ動かして、最前列の運転席へ再度移動して、スイッチバックを通過していきます。
折り返し地点に到着すると運転士は運転用具(ブレーキハンドル等)を持って反対側の運転席に移動します。左手に持っているものがそうでしょう。
駅に止まっているときはホームを移動していきますが
スイッチバックの奥まったところでは車内を移動していきます。
後日、写したものです。
ななつ星か来ました。
この列車の運転士の動きはどうなっているのでしょう。
矢岳から下りてきて、人吉に向かうところです。
ものすごいスピードで下りてきました。
最後尾の窓のブラインドがおろしてあります。
ななつ星の場合は後ろに運転席がないので、完全にバックすることになります。
最後部は、DXスイートになっており誘導員が乗れないため監視カメラを設置、運転席でモニターを見ながら推進運転を行っています。駅のホームにも係員の方がいて安全確認しています。
このようにカメラマンが待ち受けていますので最後尾の車両のブラインドは閉めてあります。
人吉に向かうななつ星です。
客車7両、機関車1両、計8両です。
ななつ星は毎週金曜日8:15〜9:10ころ、人吉に向けて
ここを通ります
。
最後尾のブラインドの話ですが、
大畑駅を出て人吉に向かうときには開けてありました。
話は戻りますが、ループの上を見ています。
「いさぶろう・しんぺい」の観光列車は、上りも下りもここで一度止まってくれます。
ななつ星は止まってくれません。
その「いさぶろう・しんぺい」の停まったループの上の車窓から駅を見ると、こうなります。
車内はこんな具合です。
1253
駅を離れて国道へ戻ります。
1321
国道をループ橋に向けて走ります。
国道221号線、この区間の問題点は片道一車線しかないのです。ずーっと一車線です。高速道路ができてからは車の数自体は少ないのですが、たまたま遅い車の後ろについたら悲劇です。ループ橋まで追い越すことはできません。
1329
ループ橋到着
1336
ループ橋にはいりましたが、まだ追い越し車線(ゆずり車線)は現れません。
この向こうの山手のところが駐車場です。
そして、そこから、もう一回りまわったところでやっと追い越し車線が現れ、すぐにトンネルで、下りになります。車が少ないのに渋滞するときはする。
これで今日のミッションは終わりです。
トップページへ