五家荘トンネル手前の板木から柿迫へ、
そして仁田尾、椎原へ
2019_05_03 晴れ 56km 今回は柿迫と仁田尾を走ります。
まず、五家荘、久連子入口から五家荘トンネルを迂回して板木までくだり、そこから子別峠を越えて八代側の柿迫へくだり、再び上り返して笹越峠へ向けて登り、そこを越えて仁田尾へ下ってきます。
まずは、五木から五家荘へ向かいます。途中、このような狭い渓谷を通ります。
道路の下はこのようになっています。旧道がありますが、通れません。
さらに下流側を見ると、こんなかんじです。
川は狭くて切り立っています。
五家荘トンネルを抜けたところに車を置きます。
ここは、久連子の入口です。が、今回は久連子には行きません。
五家荘トンネルの外側、急道を川沿いに行きます。
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道は細い
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川はこれだけの狭いところを流れていきます。
水が少ないのは、このすぐ上流にダムがあって、水を吸い取っているからです。その水はどこへ行くかというと、この後、自転車はその水路の下を通ることになります。
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元の道、先ほど通った五家荘トンネルの手前の道へ合流し、子別峠へ向かいます。
五家荘は熊本県川辺川流域、つまり五木村の上流にありますが、行政区割りは八代市になります。歴史的にも八代の柿迫地域とつなかりがあったようです。
て、五家荘は樅木、葉木、椎原、仁田尾、久連子の5地域から成り立ってます。
今回はその中の仁田尾を走ります。
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この橋の上から水の流れる音が聞こえてきます。
先ほど通った狭い渓谷の直上流のダムで摂られた水が流れています。
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集落を通っていきます。
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ここは椎葉の集落です。
右へ行くと県道、左が林道。左へ行きます。
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道は比較的なだらかです。
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峠に到着です。子別峠です。
「こべっとう」と読むこの峠は、五木村の北部、五家荘久連子と八代熊本平野を結ぶ昔からの交通の要衝で、南の大通峠・番立峠とともに人吉藩の番所が置かれていました。
かつて五木村の娘たちは、7〜8歳になると町に奉公に出され、その出発の日に親はこの峠まで子どもを送り、先の身を案じて別れを惜しんだとか。
また、南北朝時代に征西将軍懐良親王が五木の里に一時身を隠した後、親王に従って宮古に上る者と残された妻子がこの峠で別れを惜しんだので、その後、子別峠と呼ばれるようになったという伝承もあります。
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下ります。
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谷に沿って下ります。
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集落が見えてきました。集落の中を下ります。
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泉第二小学校です。
泉第二小学校は泉第一小学校、泉第三小学校と統合し2014年、泉小中学校となりました。
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泉第三小学校です。
泉第二小学校は泉第一小学校、泉第三小学校と統合し2014年、泉小中学校となりました。
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左へ行くと二本杉、右へ行くと笹越峠を経て椎原へ行きます。
今回は右へ上ります。途中せんだん轟の滝です。
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ここは柿迫、岩奥の集落です。
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見えているのは最上段まで全て水田です。畑ではありません。
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先ほどの集落を上からみたところです。
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せんだん轟の滝の駐車場、おみやげ店
むこうから犬がかけてきます。
一直線に私の方へ走ってきます。どんどん近寄ってきます。
はあ、はあ言いながら、しっぽを振って近づいてきます。
足にじゃれついて、「何かおくれ」という顔をしていますが、あいにく何も持ち合わせがありません。
「しょうがないなあ」という顔して、少し離れて
向こうで、水をなめ始めました。
自転車を漕ぎだすと、ついてきます。
駐車場をいっしょうけんめい、平行して走ってきます。
そのうちに消えていなくなりました。
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下ります。
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滝が見えます。せんだん轟の滝です。
あの滝の上からぐるりと回って下りてきたわけです。
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仁田尾の集落
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渓谷の景色
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椎原の集落が見えます。
それぞれの地域の実態をみるとき、家々を見てもよくわからないです。が、小学校をみればわかります。その小学校のことを書きます。
第五小学校(久連子)、第六小学校(仁田尾)、第七小学校(椎原・葉木)が合併して第八小学校になつています。なので、現在、久連子、仁田尾、椎原には小学校がありません。五家荘には今、樅木に第八小学校があるだけです。
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三叉路へ到着
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渓谷の狭いところを通って
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久連子の入口
出発地点に帰ってきました。
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