久七トンネル、高熊山、久七峠
2019_06_16 晴 77km 久七峠は熊本県人吉市田野と鹿児島県伊佐市大口木ノ氏の間にある峠です。人吉から久七トンネルを通って伊佐へ行き、高熊山へ上って、久七峠を越えて帰ってきます。
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人吉駅裏の村山公園から出発です。
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人吉橋を渡り、伊佐の方へ向かいます。昔は大口越といいました。
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球磨川下流方向
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胸川に沿って上っていきます。
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東大塚の集落
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この景色は国道20号線の冨士見あたりのSカーブに似ています。
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荷台にヘルメットを乗せています。
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そうです。トンネルをくぐるためです。これは西大塚トンネルです。このトンネルを抜けてすぐに久七トンネルです。
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久七トンネル、3945mあります。車の少ない日を選んで出かけてきています。今日は日曜日です。そして、早朝です。仕事の車は通りません。遊びの車はまだ家を出かけていないはずです。観光バスもまだ出発していないはずです。それでも車が来ないか見極めて走りこみます。
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中に2か所ほどよけ場があります。どんどん走って、ふーっと息継ぎをしたら、「あと2km」という表示があり、ガックリ。さらに気を取り直して走ります。
トンネルの入口と出口の標高を地図で見て。高い方から低い方へ走っています。か、しかし、想定外のことが起きています。つまり、入口と出口の標高差はマイナスで、たしかに下りにみえますが、どうも中は山になっているようです。その証拠に、向こうの出口が見えません。はるか先の天井の明かりが地べたにくっついて見えます。だからといって上りだということにはならないのですが、気持ち的には上りに感じます。
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どうにか無事に通過できて一安心。一台も抜かれませんでした。出たとたんに一台追い越していきました。
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伊佐の方へ下ります。
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食料を買って引き返してきて、大口の方から見た高熊山です。
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高熊山の上り口です。
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道は細いから車だと離合が難しいですが、勾配はそれほどでもありません。
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西南の役のころの戦いの様子が書いてあります。ここでは、すでに戦う状態ではなかったろうと考えます。
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久七峠へ向けて上ります。
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帰りはトンネルには入りません。トンネル入り口の標高より出口の標高が高いからです。峠を越します。左手の旧道を行きます。
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足が喜ぶ急こう配の連続区間です。
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どんどん高く上っていきます。
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どうも、ここから下りになっているようで、GPS地図を見ると、峠のようです。どこが峠かよくわからない。下った先がまた上っているようでもあるし。
さて、標識などはあるか、探したところ右の斜面の下にありました。
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これです。「きゅうしち」峠と呼んでいるようです。
昔はここが県境だったようです、が、現在はもう少し人吉寄りです。昔、大口に久七という爺さんがいて、すごい知恵者で、峠の境界石を少しずつ移動させたからとかあるいは島津、相良両藩の力関係で強引に動かされたからとかいう言い伝えがあります、と。たしかに地図を見るかぎり、等高線をじっくたどって行って、GPSで現在地を把握しないと、どこが峠かわかりにくい。
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間伐の行き届かない森林です。競争に勝った木が残るという状態ではなくて、全体的に弱ってきているように見えます。
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田野小学校。田野は山の上の丘みたいなところです。これだけの水田があって、水はどこから引いているのでしょう。
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今では伐採地はどこでもこのようにジグザグの道を作ります。キャタピラの運搬車で運ぶのですが、採寸、玉切りした3m、4mの材を1回に2〜3立方しか載せられない。つまり伐採した場所の急斜面でチェンソーを使って所定の長さに切り、それを1本ずつ引き寄せて運搬車に乗せて、えんえんと、川を渡って運び出してくるということで、どうにもこうにも採算が合うとは思われません。
タワーヤーダを使った集材をしたであろう、という箇所を一か所だけ、五木の奥で見たことがあります。
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西大塚トンネルの入口、出口 このトンネルは短く、出たらすぐに久七トンネルに続きます。
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胸川沿いにどんどん下ります。
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再び東大塚の集落の中
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人吉橋
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村山公園到着です。
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