花蓮⇒タロコ、天祥

場所 自転車で台湾一周 8日目 花蓮⇒タロコ、天祥
日時  16_11_08
コース 花蓮⇒天祥
本日のまとめ
天気
距離 48km



 いよいよタロコへ行きます。


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今日の走行予定距離は50キロ弱
短い・・・。とても短い、ので、時間を持て余す・・。
ので、ゆっくり出る。

ホテルの前の大理石の玉は、水の力で回っている。
のだそうです。

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七星潭に向けて走りますが、内陸の方を走ります。

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七星潭に着きました。

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七星潭は海がきれい。
日差しが強い、まぶしい、このまぶしさが、ちょいとしたトラブルをもたらした。

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太魯閣にはいったらトンネルがいくつかある。ということで、ここで、日本を出る直前に買った尾灯のテストをします。スイッチを入れると確かにピカピカ光る。「よし」と、しかし、少しすると、消える。たたいたりして色々試したが、だめ。電池か?、近くのコンビニで単4の電池を買って入れてみたが、結果は同じ。「なぜじゃ」、だめだ、とあきらめてバッグに放り込んだらピカピカはじまる。よくよく考えてみたら、光センサーが付いていた。日差しが強いので、センサーが働き、すぐに消えたのでした。間抜けまるだし。

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道端の店に並んでいるのは、青いバナナと、芋だけ。
即、食べれるようなものはない。
ヤシの実のジュースとか、探しているのだけど、出ていない。

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ここでも檳榔を売っている。

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太魯閣への道、最終セブンイレブンです。
ここで食事。
焼飯に鳥のもも肉の揚げたものが乗っているやつ、と、牛乳1リットルを買い、ここで食べて、余った牛乳は道々飲みながら走った。

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このように、バスが通っていきます。
太魯閣渓谷から下りてきたバスです。

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大型車両は幅もさることながら、高さも問題です。
高さのあるバスだと、このように頭をこするギリギリのところで通過せざるをえません。ここは一方通行なので、まあまあ安心して左へ寄せることができますが、対向車のある場所だと大変です。

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よくもまあ、あの大きなバスが、こんな隧道を抜けてきたものだと感心します。

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先ほどは一方通行でしたが、ここは対向車があります。
大型は、あまり右に寄ると、ガサッと触るので、対向車のないときは見ての通り中央寄りを走っていきます。

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太魯閣の道ははじめから観光用として作られたわけではありません。
台中の東勢大橋から梨山をとおって太魯閣大橋までの193キロの中部横貫公路の一部です。工事中に212名の方々が亡くなった、その霊を弔うために長春祠が建てられました。

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1896年(明治29年)、花蓮港守備隊の日本兵がタロコ族の女性を強姦した。 怒った原住民20名が新城監視哨を襲撃、将校ら20名余を殺害(新城事件)。 日本側は翌1897年(明治30年)、基隆歩兵隊で太魯閣討伐、逆に敗北。今度は阿美アミ族多数を加えた1700名超の大部隊で攻めたが、500名以上の死傷者を出し再び敗走。

1914年、日本政府は太魯閣番討伐戦を断行。それに先立って同年4月から7月にかけて、中央山脈の西側の埔里から中国人労働者300人と日本人の警察官60人で天祥まで軍用道路を切り開きました。
同時期に討伐部隊の通行のために東側の花連の新城から天祥までの30kmの道も開きました。これが合歓山を越えて造られた最初の道です。
結局、日本軍は4度攻め込み4度退却。懐柔策へと方針転換せざるをえませんでした。

1914年8月に太魯閣事件が終わると、日本政府は「捜索隊」を出して2年かけて事件後の処理をするかたわら、埔里から太魯閣峡谷までの道を物資輸送と資材運搬にも使える警備道路として整備しなおしました。こちら・・・・

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どうにか、こうにか隧道を抜けてきた大型バスです。

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皆さん、すでにヘルメットをかぶっています。

ま、なんという処に道を作ったものか、と、感心します。



「単行道」、右の道、これは一方通行です。

一方通行といってもバスは通れません。

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太魯閣渓谷は立霧渓(たっきり-けい)の一部ですが、その立霧渓の流域面積 は616.30 km2、わかりやすく書くと 61600ha。
この面積は、東京都区部の面積とほぼ同じで、619 km2 61900ha
(621km2とも626km2とも言われる)
つまり23区の広さに降った雨が全部、ここを通って流れ出るということです。山手線の内側の面積の約10倍です。

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水源の標高 3,440 m、河口まで55kmで流れ下っています。
多摩川で言うなら、羽村から羽田の河口までの距離しかありません。
どれだけ急こう配なんじゃ。というかんじです。

一枚岩、といっても、この辺の岩はすべて一枚岩のような気がするのですが・・・。

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自転車で下ってくる人がいます。

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どうなのでしよう、私の推測ですが、
はじめは右の道しかなかった、あとで、左の岩を削って広げたのではないか・・・。

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再び自転車

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このトンネルはあとから作ったバイパスなので、中は、さほど狭くはない。トラックも、このように、かなり空けて追い越ししてくれている。
時に止まって、尾灯の具合を見てみたら、ちゃんと作動していた。

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道は狭い上に対向車があります。これで向こうから大型バスが来たら通れない。
「幅は大丈夫」という目安で、右に寄りすぎると、頭をガサリとこすってしまいます。たえず上を気にしながら運転しなければなりません。

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自転車はどうするかというと、車が行ってしまってから、キコキコとゆっくり漕いでいくしかありません。

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車はどんどん来ます。車が行ってしまってから、再びキコキコとゆっくり漕いでいきます。

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なんとか無事にここまで来ました。
稚暉橋を渡ると天祥です。セブンなどの食料品店があるはずです。

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セブンイレブンがある。営業している。
次の朝になってわかることですが、朝早くは開いていなかった。
もちろん、向かいにある土産物屋とか食堂は、朝早く開くということはありえない。
食料を調達するなら、夜のうちに済ませておかなければなりません。

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太魯閣も見たし、花蓮まで帰ろうか。とも、思う。
せっかく来たのだから、もっと上まで行ってみたい。という、気もある。
上へ行くには泊まらなければならない。
ということで、天祥青年活動中心に行くことにした。
本来の計画では、近くの安い民宿を狙っていたのですが、営業していなかった。「さて、どうしたものか・・・」と、道端に座り込んで、ずいぶん考えたあげく、天祥青年活動中心という、高いホテルに泊まることにしました。

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受付の人は、見るからに日本語が通じそうな人でした。つまり、どういう事かというと、向こうが私を見て、いかにも日本人だと見抜き、日本語でも大丈夫よ、というふうに言っているように見えたからです。
「あいていますか」と問うと、
部屋はあるという。
カードで支払った。2600元という。朝飯付き。
実は台湾に着いてすぐ、両替をした。たぶん足りなくなるだろうと考えた。
ここにきて、余るかもしれないとも考えた。でも、足りないかもしれない。
もし、足りなかったら花蓮あたりで再両替。
理屈は簡単です、銀行へ行けばいい、しかし、これが結構大変なのです。銀行の場所を調べて、開店時間内に、となると、その日の行動時間が限られてくる。なのでカードで支払って、少しでも現金に余裕を持たせるようにした

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立地と設備を考えると、値段は、そんなものかもしれない。
ま、値段はどうでもよいか。
明日、もっと上まで登ろうと考えております。
次の日

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