山道、球磨、椎葉、五家荘、五木ひとまわり
2021_10_15 晴 130km 球磨盆地から不土野峠を越えて椎葉にはいり椎葉越えを経て五家荘、五家荘から下って五木、相良、あさぎりを走り元へ戻る130kmのコース。
山間の地形、渓谷の地形を最もよく知っている人たちはどのような人でしょう。マタギの方々でしようか、釣り人でしょうか。 釣りと風土 山本素石氏 「終の栖家」に次のように書いてあります。・・・・
九州全土の地図をひろげてみると、中央山地の少し南寄りに、ひときわ空いている部分が目につく。宮崎・熊本の県境に、山を隔てて東西に接する椎葉、五家荘、五木の地域がそれで、道路と集落の記号が目立ってまばらで、ゴタついていない。おのずとそこへ目が吸い寄せられる。五家荘というところは、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一族が落ちのびた要害の隠れ里として、その名は古くから世に知られてきたが、戦後、民謡の全国的な流行に乗って脚光を浴びた〈稗搗き節〉の椎葉と〈五木の子守唄〉に人気をさらわれて、その谷間に置き忘れられてきた観がある。ここは四国の祖谷(いや)、飛騨の白川郷と並んで、我が国の三大秘境ともいわれてきた。しかし、白川郷が御母衣ダムの湖底に沈み、祖谷が関西の観光地になってしまった今、辛うじて秘境の名実を保っているのは、ここしかないだろう。・・・・と、書いておられます。
平家の落人は椎葉から五家荘にはいったと言われています。
ならば、椎葉から五家荘へと走って、その険しさを実感してみます。
ところが、椎葉から五家荘へと走るには、まず、椎葉へ行かねばなりません。そういうわけで、朝早く出発します。朝、4時のスタートです。
朝4時にスタート。まだ夜が明けていない。
0509
市房ダムのダムの上を通過して右岸へ移る
0544
古屋敷まで登ってきても、まだ暗い
0624
古屋敷から不土野峠までルートが2つあるが、右側のルートの方が車が来ない気がしたので、そちらを登る。白水の滝への分かれ道を過ぎて振り返って、ここでやっと写真が撮れるくらい明るくなった。
道は沢から離れると、いくぶんなだらかになる。
陽が照ってきた。
少し紅葉してきた山道
0729
不土野峠通過7時半
椎葉の山並み。非常に天気がいい。今年はいつまでも暑くて、この時期で最高気温30度を超える日が続く。
奥椎葉大橋
0753
鶴富橋通過
狭い谷間、不土野川沿いの狭い道を通って進みます。
釣りと風土 山本素石氏 「終の栖家」には、さらに次のように書いてあります。
・・・・五家荘の住人は、日向の椎葉から山を越えて来たといわれている平家一族の他に、源氏の追討軍の一部も合流したもののようで、これに太宰府からやってきた菅原氏の家中も加わったと、郷土史家は伝えているが、一部は先住の木地屋に合流した形跡もある。道なき道を踏み分けて、はるかな山河を越えてきた一族は、ここを終の栖家として小屋を建て、山を焼いて畑を作り、都ではついぞ口にしたこともなかったであろう稗や粟を養って糊口をしのいだ。農耕技術の進んだ今でもこの山地ではとても米を作れない。みやびた生活から一挙に敗残の身となっては、かつての都人も生きるために樵夫や農夫に姿を変えてはたらかねばならなかった。・・・・
木地屋とは・・・木を材料にして盆や椀などを作る職業。ただし、うるしなど塗っていない木地のものを作る。
耳川添いに登って行く
0828
道は再び分かれて不土野簡易郵便局から水無川沿いに上る
0837
白水の滝
ここのところ晴れがずっと続いており、どこの沢も枯れているが、ここの滝の水は多い。あとで高いところから見てみますが、滝の上流の面積はそれほど広くはない。
0853
椎葉越えの峠まで、あと13km
尾後崎の集落。白水の滝の上にある集落。これだけの平地しかないのに、あの水量はどうしてだろう。ダムの放水流でもない。
釣りと風土 山本素石氏 「終の栖家」には、さらに、次のように書いてあります。
・・・・深山幽谷を隔てて遠く世を忍ぶ隠れ里には、苦しいながらもしばしささやかな平和がつづいて、まさかここにまで追討の手が伸びてこようとは思われなかったに違いない。それが、鎌倉にいてきびしく平家の残党追及していた頼朝の耳にいつしか入るところとなり、執念深くも討手がさし向けられることになる。追討軍の将として九州遠征を命じられた下野の住人那須与一は、病気を口実にして断る。・・・・。
さらに上っていく。
日差しが暑くもなく、寒くもなくちょうどよい。
リアキャリアのサイドバッグにはトンネルを通るときに使うためのヘルメットがはいっている。今回は使わなかった。
1057
あと、2.8km
1115
そして、椎葉越え、峠に到着。11時15分
釣りと風土 山本素石氏 「終の栖家」は次のように続きます。
・・・・那須与一は、病気を口実にして断る。
代わりに弟の大八郎が命を受けて、追討の軍勢を引き連れて日向に下り、豊後路から椎葉に分け入ることになるのだが、那須兄弟は、頼朝ほど非情ではなかったとみえる。昔日の権勢と栄華はどこへやら、乏しい農耕に明け暮れている平家一族のうらびれたなりわいを見て、大八郎は心を打たれ、弓矢を捨ててここに住みつくこととなる。・・・・
しかし、追討を断念して敗者の仲間入りをした大八郎は、那須野で覚えた農耕の法を教えたりして、三年の間住んでいたという。この間の、鶴富姫との恋物語は史伝に語られるところだが、やがて鎌倉から帰国の命が伝えられる。・・・
那須大八郎は結局、鎌倉に帰って行くのです。
五家荘 樅木の山々
下りは寒くなるので、シャツを着る
八八重まで下りてきた。ここは五家荘樅木。
伝説によると壇ノ浦の戦いで敗れた平家一族は四国を経て大分に逃れ、五家荘(樅木)に入ったという。
そして、国道445号線
1256
五家荘大橋
1305
平家トンネル
このあたりの川辺川の風景。上流部分。
下流を見ている。
椎原通過。左中将平清経は姓を緒方と改名。
平清経屋敷跡の碑はこちら
。
1324
狭い道路の部分。
川辺川の清流
1330
五家荘トンネル。左へ行くと久連子
上荒地トンネル手前
上荒地トンネル
対岸が宮園集落
JNC竹の川発電所
神屋敷トンネル手前の橋 神屋敷橋
新しい橋ができていた。九折瀬橋という。
1429
五木 頭地まで来た。
ここから相良まで6個のトンネルがある。そのうちの4つはきれいな歩道がある。ひとつは少し狭いがトンネルも短い。残るひとつ、最後の藤田トンネルたいへんは短いので問題ない。これは最初のトンネル板木トンネル。
野々脇のあたり
川辺川 相良
あさぎり町にはいる。
しょうや橋
16時18分
だいたい12時間半かかった。
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