大峯奥駈道 逆峰 2日目
23_05_22(月曜) 晴
洞辻茶屋から楊枝ケ宿小屋 22.9km
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洞辻茶屋出発
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朝日が照ってきた。
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だらにすけ花丑 花徳
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だらにすけ丸 松清店
陀羅尼助(だらにすけ)とは胃腸薬。オウバクの皮を数日間煮詰めて延べ板状にしたもの。丸薬もあるらしい。ここで胃腸薬を売っているのだろうか。
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山上宿坊
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宿坊
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険しい山々が続く
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お花畑 百名山と書いてある
百名山にはいっている大峯山は山上ケ岳、弥山(1895)、八経ケ岳(1915)を含む山全体。で、標高は八経ケ岳の1915mが書いてある。なので、ここが百名山と言われてもまちがいではないが、山上ケ岳から八経ケ岳までを同じ山とみるのはどうなのだろう。それなら北岳と間ノ岳も同じ山とみれないこともない。どうも基準がわからない。
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0623 |
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小笹の宿
水はとにかく豊富。
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阿弥陀ケ森の手前
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大普賢岳 巻道を行く
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「ひとり山越えてまた山」・・・山頭火
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振り返って見ている。あのポッコリ山を越えてきた。
とにかく山をひとつひとつ乗り越えていきます。
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このような岩場、崖道を通るときは気をつかう。リュックの頭が枝などに触るとふらついて大変危険。必ず鎖に掴まって移動する癖をつけている。
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鎖場 荷物が重くて登るのがたいへん。
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木立の向こうに見える山を乗り越えていきます。
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行者還小屋
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天川辻
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遠くに見えるのが弥山
左手からずーっと、幾つもの山を越えて、最後にあの山へ登るのだ。そのあと、さらに左手奥へ歩いていくことになる。
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バイケイソウだらけ。そのうちに日本の山々は毒草だけになるだろう。毒のない一般の植物は都会にしか残らなくなるだろう。そして、鹿は変異して毒も食べるようになるだろう。
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とにかく歩かねばならない。足の故障が怖いといって、足を労わっていてばかりいてはすすまない。
人間は肉体的限界より精神的限界の方が早くやってくるということがわかっている。精神的限界を先にのばすにはどうするか。例えば、「今夜一晩寝たら明日はまた歩けるようになるだろう、明日のことは明日の朝考えよう」と、だいたいそういう考えで毎日すごしていく。だから先に進める。
一日のうちでも、その考えでいこう。「あの山まで行こう。それから先のことは、あの山の上で考えよう」と、目標を小刻みにして進んでいけばつらくない。
着いたら、着いたときに考える。ゴールポストを先へ、先へと伸ばしていくとつらさを忘れる。
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もうひとつある。精神的限界のほかに時間的限界がある。昼を過ぎると疲れる。疲労の蓄積もあるのだろうが、脳のどこかで時刻を気にしているのだ、「この時刻だから疲れるはずだ」と。明るくなる前に歩いた行程は疲れに(精神的な疲れに)はいってこないみたいだ。逆に暗くなってから歩くのは非常に疲れる。午前中に、できれば午前8時までに一日の行程のほとんどをすませてしまうくらいの勢いでやりくりすれば、毎日元気に歩けるはずだ。と、考えた。
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聖宝の宿跡過ぎて、弥山へ登っていきます。
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今まで歩いてきた山々
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弥山小屋
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そして40分ばかり歩いて八経ケ岳
八経ガ岳(1915メートル)は近畿最高峰
いろいろぶら下げているので重く見えるが、約10kg
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楊枝ケ小屋 ここに泊まる。
小屋の後ろを2〜3分下ったところに水が出ていた。ちょろちょろと音がしたのでわかった。山はすべて鹿の糞だらけなので沸かして飲んだ方がいい。そして、寝る前に明日の飲み水の分も沸かして冷ましておく。朝、持ち運び用のペットボトルに移し替える。その後、飯を作る。
次の日
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